このブログの更新はお久しぶりです。
5月25日午後。85歳で母は自宅にて他界しました。
7月6日、新盆を迎えます。
悪性腹部腫瘍。腸閉塞も併発していました。
最後の1か月は水分さえ飲込む事が出来ず
飲込んでは吐いて苦しい思いをしていましたが、
臨終の前は苦しんでいないという話を
往診主治医から説明を受けていました。
母がお世話になったクリニックのリンクを貼っておきます。
https://www.facebook.com/sogozaitaku/
http://www.sogo-zaitaku.jp/
このクリニックにお世話になるきっかけは
お世話になっていたケアマネさんの勧めからでした。
母の腹部の腫瘍は一度は
総合病院で20針を超える手術を受け
再発の可能性も告知されていました。
年齢と他の病歴との関連も有り
症状を軽減する投薬と処方のみ
抗癌剤の使用は無し、という話で進められました。
その際の総合病院の出頭医である主治医から
残された時間について姉には話をされていて
その話は姉から聞かされてはいました。
最期の時間の迎え方についての話は
往診の主治医から母の自宅にて
身内が揃った状態で説明を受けました。
参考サイトを貼っておきます。
http://www.sogo-zaitaku.jp/study/jyunbi.html
往診の主治医の話では
母は「大往生だった」と言っていました。
自宅で配偶者や身内に見守られ
最期を迎えられる患者は少ないと言います。
今父は老人施設にて暮らす日々を送っています。
母と同じ年齢というのもあってか
歩行が歩行器での歩行、
身内の顔と名前は一致しますが
時間的経過の感覚に痴呆の症状が有ります。
母の他界も理解している様子ではありますが
配偶者の他界に力を落としている様子ではあります。
母が暮らした両親の自宅は
遺品の整理を進め、いずれは人手に渡ると聞いています。
その時期はさだかではありません。
兄も姉も家土地家族を持ち、それぞれ暮らす身、
長男跡取りと聞かされ続けて育ちましたが
いずれ実家は消える事になる様子です。
母は自分と父の葬儀の為にと
内緒で預貯金をしていた様子でした。
しかしその預貯金も母の葬儀で
ほとんどが消えてしまったと聞かされました。
娘の他界のときの葬儀は
必要最低限の葬儀だったので
母の葬儀程盛大ではありませんでした。
母の葬儀はゆかりの知人友人から親族迄
お世話になった方を集めての盛大な式でした。
姉は言いました。
父にもう少し生きていてもらわないと
父の葬儀代が無い、と。
母は老後にして、「家族が欲しかった」と言い
一人暮らしを続け、自宅で他界したとはいえ
支えていた姉や私の存在が有った事は
幸せな最期だったのではないかと私は思います。
ここ数年、母がひとり暮らす実家へ
ほぼ毎週の様に通い
最期の1か月は姉と交代で泊り込み
母の身の回りを見てきた私も
ぽっかり穴が空いた気分になっていました。
娘が他界してこの7月の七夕で3年になります。
とある友人に言われました。
遺品を手放してあげることも
故人から卒業することではと。
今私は自分のスキルアップの為に
職業訓練所の様な所へ行っています。
自分の中に出来た気持ちと時間の穴を
自分のこれからのステップアップの為に
時間と労力を費やして埋められたら
そんな思いで出掛けています。
それと同時に
遺品のや荷物の整理を
少しづつ進めています。
「捨てられない」「もったいない」
がまだ自分の中にありますが
「手放してあげよう」というものも
少しづつですが処分等しています。
アドバイスをくれた友人が言います。
「焦らなくていい、無理しちゃ駄目だよ。」
頑張ると無理をするの違いが
私にはまだ理解しきれていないかもしれません。
しかし、
徐々に変わろうとしている自分が居て
他界した2人に
「頑張ってるよ。見ていてね。」
と声掛ける様にしています。
学生時代に自分が言っていた言葉
「楽しい老後」
NHKの「あぐり」というドラマが
印象に残っています。
無理は出来る時にしか出来ない気がします。
加減が大事な気がします。
LINEのひとことに
「どうして」と書いていたのを
「楽しい老後」に書換ました。
私の中で娘への「どうして」は消せませんが
頑張れる・無理が出来る世代のうちに
自分が何を出来るか。
チャレンジしてみたいと思っています。
母や娘との記憶と記録
覚書としてまた書くかもしれません。
最後まで読んで頂き有難う御座いました。
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